昨年、東京都現代美術館で開催されたイサム・ノグチ展を最初に観にいって、そのおおらかな作品に直に触れさらにモエレ沼公園という壮大な作品を遺したこの人物についてもっと知りたい、という好奇心が湧いたところで、帰りに覗いた美術館内のショップコーナーで見つけたこの文庫本。
その時点では読みかけの本があったのでそこでは買わなかったのですが、それから数日すぎて改めて上下巻同時に購入、このところ読む時間がめっきり少なくなったせいでかなり時間がかかってしまいましたが、ようやく本日読了。

映画をあまり観ないので僕にはこういう経験はないですが、ある小説を映画化したものがあって、その小説を読んでいたら映画に対して物足りなさを覚えるというのをよく聞きます。
このイサム・ノグチの伝記を読んでいて、今の例え話とは順番が逆ですが、あらためて考えてみて、現美での回顧展は物足りなかったんだな、と思えてきます。あの超大作「エナジー・ヴォイド」をもってしても。。。

それくらいに詳細にわたって丁寧に取材された伝記です。
イサムが生前に残した言葉や資料にとどまらず、イサムの幼少期から晩年にいたるまで、世界各国にいるイサムと交流をもったたくさんの人からの話も多く引用されていて、それぞれの時代背景などが相当なリアリズムをもって書かれています。
無論、この伝記の作者の考えも、直接的ではないものの随所に登場しています。ただ、その考えがいちばん反映されているのは、部分というより全体の構成ではないか、と何となく思います。

イサムの父と母の生い立ちと出会い。
日米での幼少の時期とそのとき背負ったトラウマ。
頭像制作が大きな収入源だった時代。
アメリカ、日本、インド。
イサムの人生の中に登場するたくさんの女性。
山口淑子(李香蘭)との結婚、離婚。北大路魯山人との蜜月。
「石」の時代、すばらしい石工との出会い。
それぞれの時代における作品とのかかわり以上に、そのときにどういう人との交流があったか、こちらのほうに興味が向きました。

イサム展にはもう一度、会期終了間際に足を運んでいるのですが、その時点ではようやく上巻を読み終えるかな、といったくらいでした。
やはりこの伝記を読んでから見るのとではぜんぜん違っていて、もっともその時点では初期の作品に対してのみでしたが、それぞれの作品が制作されている時代にイサムはどういう状況だったかを知っているだけで、「ああこの作品がそうなのか」という感慨深さがありました。

そういうわけでイサムの後期の作品、本格的に石彫に取り組むようになってからの作品は、その作品からのみの印象しか持ち得なかったのですが(もちろんそれで充分だと思います)、嬉しいことにこの春に横浜美術館であらためてイサムの作品が観られそうです。

それまでにもう一度読み返せれば...。

コメント

nophoto
Michaela
2014年6月24日20:24

Thanks for that! It’s just the answer I needde.

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