杉本博司 時間の終わり(1/2)
2006年1月2日 アート森美術館にて。(9/17〜1/9)
http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/index.html
「自分の意図したものを確実に伝えること これがアーティストの使命だ」
昨年に続いて2度目。今回はさらに時間に余裕を持って観てきた。感じてきた。
雑誌「BRUTUS」との大々的なタイアップによるレコメンデーションで盛り上がる期待に応えるどころか、驚くほどに想像力を掻き立てる刺激に溢れた内容。
展示の冒頭、1点だけ飾られた[Theater」が目に飛び込んできた時点でノックアウト。
モノクロームの説得力。「絵」としての美しさ。この1点が飾られたスペースを体験しただけでも。
美術館内に足を踏み入れるとまず目にするのは照明が若干暗めに設定されたなかに一定間隔で並んだ白の柱。この時点では写真は視界には、ない。天井が充分に高く、壮大でミニマルな反復リズムのインスタレーション的な空間演出。
作品は、入り口方向からだと柱の裏側に。3次元の数式を具現化した石膏製のオブジェを黒を背景に絶妙の照明で撮影した作品が大きく引き伸ばされている。無機的に作られている曲面の無機的だからこそのなめらかさと劣化が進んだ石膏の表面の物質としての無機的さとが相まって、計算され尽くしたストイックな美しさに見とれる。ひとつひとつをじっくりと観たあと、空間を味わうように動きながら目に入ってくるを自然に受け止める。
同じ部屋の開けた空間に同様の数式モデルがアルミで柱状に再現されたものが2点。まわりの壁には機械模型の写真が石膏オブジェと同様な質感で写真に収まっている。こちらは歯車や可動部分のネジなどがいかにも無骨に。
ジオラマをはさんで、「Seascapes」のコーナー。
僕が初めて杉本を知ったのが原美術館で観た「Seascapes」だった。
壁面も床も天井も黒で統一された広い空間にずらりと並ぶ、画面を上下に美しく2等分する水平線。
このコーナー、尋常でない凄みがあった。
作品1点1点丁寧にトリミングされたライトが当てられ、暗闇のなかにそれらが浮かび上がっている。加えてこのなかには広々とした能舞台が設営されていて、さらに耳を突く高音域のノイズに時おり低音が入り込むというサウンドインスタレーションも。
このスペースの入口から壁沿いには水平線が霞んでいたり海面が反射する光が美しいものがまず並び、続いて夜の海景、能舞台側には白い空と黒い海とのコントラストがはっきりしているものが並ぶ。
夜でも水平線はしっかりと表出していることへの驚き。光を反射する海面の神々しさ。まるで油絵具のように迫ってくる海の黒のうねり。
昨年秋はこの空間に圧倒されっぱなしだった。それは今日も変わらなかったが、それでももう一歩踏み込みたいという好奇心が働いて、展示された海がどこなのかキャプションをしっかり確認してみた。
同じ海を撮ったものが、夜と日が昇っている時間のとの組み合わせで2組あった。撮影位置の方角も調べれば、海が黒く写る方角とそうでない方角も分かるかもしれない。
続くビデオのコーナーに1点だけ飾られているフェルメールの「The Music Lesson」。
おちゃめなキャプションのおかげもあってちょっと小休止的な展示だが、僕がこの作品を目にするのは2度目で、以前ギャラリー小柳で拝見したときのキャプションにあったシリアスなエピソードを思い出す。今回の展示では原作の写真か何かが資料として展示されていないが、本来フェルメールの絵にはあるヴィオラ・ダ・ガンバ(だったと思う。とにかく古楽器)が杉本の写真にはなく、現存の古楽器を用意できなかったからないのではなくて、実は用意したのだが構図的にどうしても画面のなかに入れることが不可能だったそう。
細長い展示スペースに長々と続く無数のブッダ、スクリーン部分の白が抜けていて異様さと神々しさを感じる「Theaters」、蝋人形師の神業に着目し、それに生命感を与えた杉本にも敬意を表したい「Portraits」、長谷川等伯の松林図の再現と続き、それぞれに感銘を受け、また直島の護王神社の縮尺模型のトンネルから覗く風景が曇り空で東京湾が見えなかったのを残念に思いつつ。
コーヒーブレイクをはさんで、秋はほとんど素通りに近かった「Colors of Shadow」へ。フェルメールのリメイクを除くとここが唯一のカラー写真のコーナーで、漆喰の白壁の部屋を東面からの自然光で撮影した写真が数点。
窓から射し込む自然光がそれぞれの角度の壁に緩やかにコントラストをつけただけのシンプルな作品だがじっくりと遠目から眺めていると「こういう絵、どこかで絶対観てるよなぁ」という既視感に襲われたが思い出せず。
同じ白でもライマンや草間とは通ずるところはあっても根本で違っていて、それでも相当に抽象絵画的。かろじて木調の床が画面に写り込んでいるのでカラー写真であることは認識できるが、見どころはその若干のコントラストで絶妙の濃淡がついた壁が隣接する部分で、なんとも不思議な立体感がとにかく面白い。
最後のコーナーは建築シリーズ。ここもかなり面白かった。
それぞれの建築物が説明文によると「無限大の倍」で撮影されてピントがぼけまくっている写真の数々。さらに説明文からの引用で「溶け残った」建築物。ビデオでは「ピントをずらすことで劣化が進んだ建物の傷を隠す」と言ってたし、「BRUTUS」には「建築家のイメージの再現」とあった。どれも正しいと思う。
じっくり観たときの印象は遠目からだと風景の表面が溶けて透明度が増した感じ、至近ではまるで水墨画。
曲線が印象的な建築物だとその傾向はなおさらで、ピントがぼけた様子など墨による滲みとまるで瓜二つ。この作品がもし和紙にプリントされたらどんな感じだろう、とか、これらのレディメイドを水墨でやると面白いのでは、など、いつもは浮かばないイメージも膨らんだ。
上映されていたビデオで杉本自身が発したこの記事の冒頭の言葉がとにかく印象に残る。
そのはっきりとした意図こそがここに展示された作品に尋常でない力を宿らせているのだと感じる。
心から、これらの素晴らしい作品を世に送りだした杉本に感謝と敬意を表したい。
そして、もうひとつ。
この展示のレイアウトは杉本本人と森美術館のスタッフとで構成されたとのこと。
どうすれば作品が映えるか考え尽くされ、隅々にまで意識が行き届いた展示で本当に素晴らしいと思う。想像力を活性化させる極上のエンターテイメントだった。
あ、それと...販売コーナーで「Seascapes」のポストカードが1種類天地逆に置かれてたよ( ´∀`)
http://www.mori.art.museum/contents/sugimoto/index.html
「自分の意図したものを確実に伝えること これがアーティストの使命だ」
昨年に続いて2度目。今回はさらに時間に余裕を持って観てきた。感じてきた。
雑誌「BRUTUS」との大々的なタイアップによるレコメンデーションで盛り上がる期待に応えるどころか、驚くほどに想像力を掻き立てる刺激に溢れた内容。
展示の冒頭、1点だけ飾られた[Theater」が目に飛び込んできた時点でノックアウト。
モノクロームの説得力。「絵」としての美しさ。この1点が飾られたスペースを体験しただけでも。
美術館内に足を踏み入れるとまず目にするのは照明が若干暗めに設定されたなかに一定間隔で並んだ白の柱。この時点では写真は視界には、ない。天井が充分に高く、壮大でミニマルな反復リズムのインスタレーション的な空間演出。
作品は、入り口方向からだと柱の裏側に。3次元の数式を具現化した石膏製のオブジェを黒を背景に絶妙の照明で撮影した作品が大きく引き伸ばされている。無機的に作られている曲面の無機的だからこそのなめらかさと劣化が進んだ石膏の表面の物質としての無機的さとが相まって、計算され尽くしたストイックな美しさに見とれる。ひとつひとつをじっくりと観たあと、空間を味わうように動きながら目に入ってくるを自然に受け止める。
同じ部屋の開けた空間に同様の数式モデルがアルミで柱状に再現されたものが2点。まわりの壁には機械模型の写真が石膏オブジェと同様な質感で写真に収まっている。こちらは歯車や可動部分のネジなどがいかにも無骨に。
ジオラマをはさんで、「Seascapes」のコーナー。
僕が初めて杉本を知ったのが原美術館で観た「Seascapes」だった。
壁面も床も天井も黒で統一された広い空間にずらりと並ぶ、画面を上下に美しく2等分する水平線。
このコーナー、尋常でない凄みがあった。
作品1点1点丁寧にトリミングされたライトが当てられ、暗闇のなかにそれらが浮かび上がっている。加えてこのなかには広々とした能舞台が設営されていて、さらに耳を突く高音域のノイズに時おり低音が入り込むというサウンドインスタレーションも。
このスペースの入口から壁沿いには水平線が霞んでいたり海面が反射する光が美しいものがまず並び、続いて夜の海景、能舞台側には白い空と黒い海とのコントラストがはっきりしているものが並ぶ。
夜でも水平線はしっかりと表出していることへの驚き。光を反射する海面の神々しさ。まるで油絵具のように迫ってくる海の黒のうねり。
昨年秋はこの空間に圧倒されっぱなしだった。それは今日も変わらなかったが、それでももう一歩踏み込みたいという好奇心が働いて、展示された海がどこなのかキャプションをしっかり確認してみた。
同じ海を撮ったものが、夜と日が昇っている時間のとの組み合わせで2組あった。撮影位置の方角も調べれば、海が黒く写る方角とそうでない方角も分かるかもしれない。
続くビデオのコーナーに1点だけ飾られているフェルメールの「The Music Lesson」。
おちゃめなキャプションのおかげもあってちょっと小休止的な展示だが、僕がこの作品を目にするのは2度目で、以前ギャラリー小柳で拝見したときのキャプションにあったシリアスなエピソードを思い出す。今回の展示では原作の写真か何かが資料として展示されていないが、本来フェルメールの絵にはあるヴィオラ・ダ・ガンバ(だったと思う。とにかく古楽器)が杉本の写真にはなく、現存の古楽器を用意できなかったからないのではなくて、実は用意したのだが構図的にどうしても画面のなかに入れることが不可能だったそう。
細長い展示スペースに長々と続く無数のブッダ、スクリーン部分の白が抜けていて異様さと神々しさを感じる「Theaters」、蝋人形師の神業に着目し、それに生命感を与えた杉本にも敬意を表したい「Portraits」、長谷川等伯の松林図の再現と続き、それぞれに感銘を受け、また直島の護王神社の縮尺模型のトンネルから覗く風景が曇り空で東京湾が見えなかったのを残念に思いつつ。
コーヒーブレイクをはさんで、秋はほとんど素通りに近かった「Colors of Shadow」へ。フェルメールのリメイクを除くとここが唯一のカラー写真のコーナーで、漆喰の白壁の部屋を東面からの自然光で撮影した写真が数点。
窓から射し込む自然光がそれぞれの角度の壁に緩やかにコントラストをつけただけのシンプルな作品だがじっくりと遠目から眺めていると「こういう絵、どこかで絶対観てるよなぁ」という既視感に襲われたが思い出せず。
同じ白でもライマンや草間とは通ずるところはあっても根本で違っていて、それでも相当に抽象絵画的。かろじて木調の床が画面に写り込んでいるのでカラー写真であることは認識できるが、見どころはその若干のコントラストで絶妙の濃淡がついた壁が隣接する部分で、なんとも不思議な立体感がとにかく面白い。
最後のコーナーは建築シリーズ。ここもかなり面白かった。
それぞれの建築物が説明文によると「無限大の倍」で撮影されてピントがぼけまくっている写真の数々。さらに説明文からの引用で「溶け残った」建築物。ビデオでは「ピントをずらすことで劣化が進んだ建物の傷を隠す」と言ってたし、「BRUTUS」には「建築家のイメージの再現」とあった。どれも正しいと思う。
じっくり観たときの印象は遠目からだと風景の表面が溶けて透明度が増した感じ、至近ではまるで水墨画。
曲線が印象的な建築物だとその傾向はなおさらで、ピントがぼけた様子など墨による滲みとまるで瓜二つ。この作品がもし和紙にプリントされたらどんな感じだろう、とか、これらのレディメイドを水墨でやると面白いのでは、など、いつもは浮かばないイメージも膨らんだ。
上映されていたビデオで杉本自身が発したこの記事の冒頭の言葉がとにかく印象に残る。
そのはっきりとした意図こそがここに展示された作品に尋常でない力を宿らせているのだと感じる。
心から、これらの素晴らしい作品を世に送りだした杉本に感謝と敬意を表したい。
そして、もうひとつ。
この展示のレイアウトは杉本本人と森美術館のスタッフとで構成されたとのこと。
どうすれば作品が映えるか考え尽くされ、隅々にまで意識が行き届いた展示で本当に素晴らしいと思う。想像力を活性化させる極上のエンターテイメントだった。
あ、それと...販売コーナーで「Seascapes」のポストカードが1種類天地逆に置かれてたよ( ´∀`)
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