ドラマとポエジーの画家 和田義彦(9/18、9/19)
2005年9月20日 アート コメント (43)
松濤美術館にて。(8/2〜9/19)
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/20050802_wada.html
ちょっと眠気が残る日曜日の正午前。
この日のアート巡りの一番最初に選んだのが松濤美術館での和田義彦展。
氏に関する情報はほとんど持たず観始めました。
とりあえず順路通りに地下のスペースから。
その時まず目に飛び込んできたのが、正面の大作よりも入口右手に並んでいた木目が美しい白木の板に直接描かれた「食べる人たち」の絵。
描かれる人物の、生々しい絵の具の使い方と白木の木目の爽やかさとのコントラストが心地よく。
しかし、前夜に夜更かししてしまったせいか、いまいち頭が冴えない、目が覚めきってないような状態で「う〜ん・・・」と作品の世界に入りきれないままとりあえず一通り。。。
続いて2階の展示室へ。
こちらのほうに和田氏の遍歴を紹介するような作品が展示されていて、今回の展示でもっとも古い作品「波切の海」(1959)の異様に黒い世界と、入口すぐのコンテ作品「ヴェニス(サンマルコ)」(2005)の霞がかったようなモノクロの渋い世界にようやく絵を観る気持ちが呼び起こされて。
そして・・・ぼーっとした頭も眠気も一発で吹っ飛んだ作品が「Rossi夫妻の宴」(1982)。
描かれているシュールな光景より、それらを構成する絵の具のうねりに刮目。
人物の顔や身体の表面は赤や白、青の絵の具が重なり交わり、一見相当に異様。しかしそのコントラスト、ひとつの色彩から次の色彩へと移りゆくその境目のスリリングな感触...。
この感覚は、ザオ・ウーキーの抽象画を間近で観た時のあの高揚感と極めて近くて。
何かが描かれている箇所の濃密な絵の具の交わりから背景の広いスペースに視点を移動させると、一見ひとつの色で描かれているように思ったところもたくさんの色が現れていたり、さらに絵の具の濃度や筆の使い方によって微妙な濃淡ができあがっていて。
この作品で目が覚めて以降はもう興奮の連続。
すぐ続く2つの作品「白昼の沈黙」(1981)と「不安な広場」(1981)も強烈。
前者はソファの上で片膝を立てて座る女。その皮膚の生々しい色彩の交わりが。
後者は実に濃い赤の世界。こちらでも人物の何かに怯えるような表情が同様の絵の具の質感で描かれていて、作品そのものも触れる空間すべてを支配してしまいそうな強烈なメッセージを発しているように感じられて。
その先には別室のスペースがあり、こちらにはヨーロッパのおそらく18世紀の作品の模写が数点。
こういった技術のバックボーンがあってこそ、あの世界が描けるのだな、と納得。
再び地下へ。
・・・思った通り、最初に観た時とはずいぶんと印象が変化して、それぞれの作品に、近付いては絵の具の質感に興奮し、遠目で壮大さや力強さに圧倒され...の連続。
「神戸」(2004)、「戦火の子どもたち」(2003)の迫るような雰囲気。
「鳥」(2004)。つやのないマッドな表面の質感。黒や焦げ茶の重い色彩の隙き間から覗かせる鮮やかな明るい赤や黄が美しいです。
「大陸の空」(2004)。大きなキャンバスの画面には空を思わせるものはなく無機質な濁った白が中央に広がり、重量感のあるものがそこここに置くように描かれていて、凄い「重さ」を感じる作品。
「愛」(1991〜93)、「腰かける女性」(1984)。前者はグレーの背景、後者は黄の床に赤の壁。ぞれぞれシンプルな色彩のなかにロマンチックな人物の表情が描かれていて、そのシンプルさゆえに説得力が増しているような。
「旅人」(1991)「何処に」(1991)、「旅立ち」(2002)。旅がテーマの3つの作品。
透明感のあるカラフルな色彩は、デュフィのオーケストラを彷佛させます。
また、他にセザンヌのような質感の作品も。。。
カフェやダンスホールを舞台にした作品も多数あり、これらは縦横に走る黒い線が描かれるシーンの騒がしい感じを表現しているような感触で。音が聞こえるような錯覚。
結局続く最終日も観に行って。
この日は和田さんともお話しすることができて感激。。。
年齢を感じさせないのは外見だけではなく、お話の隅々からもフレッシュな感覚が垣間見れたことも嬉しい発見で。
この展示は今後筑波のほうへ巡回するそうなのですが、その時はもっとたくさんの作品が出展されるということらしいので、何とか行きたい、と思ってます。
《感想リンク》
http://jiyu-runner.cocolog-nifty.com/tannsihin/2005/09/post_a7bb.html
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=361
http://www.city.shibuya.tokyo.jp/est/museum/20050802_wada.html
ちょっと眠気が残る日曜日の正午前。
この日のアート巡りの一番最初に選んだのが松濤美術館での和田義彦展。
氏に関する情報はほとんど持たず観始めました。
とりあえず順路通りに地下のスペースから。
その時まず目に飛び込んできたのが、正面の大作よりも入口右手に並んでいた木目が美しい白木の板に直接描かれた「食べる人たち」の絵。
描かれる人物の、生々しい絵の具の使い方と白木の木目の爽やかさとのコントラストが心地よく。
しかし、前夜に夜更かししてしまったせいか、いまいち頭が冴えない、目が覚めきってないような状態で「う〜ん・・・」と作品の世界に入りきれないままとりあえず一通り。。。
続いて2階の展示室へ。
こちらのほうに和田氏の遍歴を紹介するような作品が展示されていて、今回の展示でもっとも古い作品「波切の海」(1959)の異様に黒い世界と、入口すぐのコンテ作品「ヴェニス(サンマルコ)」(2005)の霞がかったようなモノクロの渋い世界にようやく絵を観る気持ちが呼び起こされて。
そして・・・ぼーっとした頭も眠気も一発で吹っ飛んだ作品が「Rossi夫妻の宴」(1982)。
描かれているシュールな光景より、それらを構成する絵の具のうねりに刮目。
人物の顔や身体の表面は赤や白、青の絵の具が重なり交わり、一見相当に異様。しかしそのコントラスト、ひとつの色彩から次の色彩へと移りゆくその境目のスリリングな感触...。
この感覚は、ザオ・ウーキーの抽象画を間近で観た時のあの高揚感と極めて近くて。
何かが描かれている箇所の濃密な絵の具の交わりから背景の広いスペースに視点を移動させると、一見ひとつの色で描かれているように思ったところもたくさんの色が現れていたり、さらに絵の具の濃度や筆の使い方によって微妙な濃淡ができあがっていて。
この作品で目が覚めて以降はもう興奮の連続。
すぐ続く2つの作品「白昼の沈黙」(1981)と「不安な広場」(1981)も強烈。
前者はソファの上で片膝を立てて座る女。その皮膚の生々しい色彩の交わりが。
後者は実に濃い赤の世界。こちらでも人物の何かに怯えるような表情が同様の絵の具の質感で描かれていて、作品そのものも触れる空間すべてを支配してしまいそうな強烈なメッセージを発しているように感じられて。
その先には別室のスペースがあり、こちらにはヨーロッパのおそらく18世紀の作品の模写が数点。
こういった技術のバックボーンがあってこそ、あの世界が描けるのだな、と納得。
再び地下へ。
・・・思った通り、最初に観た時とはずいぶんと印象が変化して、それぞれの作品に、近付いては絵の具の質感に興奮し、遠目で壮大さや力強さに圧倒され...の連続。
「神戸」(2004)、「戦火の子どもたち」(2003)の迫るような雰囲気。
「鳥」(2004)。つやのないマッドな表面の質感。黒や焦げ茶の重い色彩の隙き間から覗かせる鮮やかな明るい赤や黄が美しいです。
「大陸の空」(2004)。大きなキャンバスの画面には空を思わせるものはなく無機質な濁った白が中央に広がり、重量感のあるものがそこここに置くように描かれていて、凄い「重さ」を感じる作品。
「愛」(1991〜93)、「腰かける女性」(1984)。前者はグレーの背景、後者は黄の床に赤の壁。ぞれぞれシンプルな色彩のなかにロマンチックな人物の表情が描かれていて、そのシンプルさゆえに説得力が増しているような。
「旅人」(1991)「何処に」(1991)、「旅立ち」(2002)。旅がテーマの3つの作品。
透明感のあるカラフルな色彩は、デュフィのオーケストラを彷佛させます。
また、他にセザンヌのような質感の作品も。。。
カフェやダンスホールを舞台にした作品も多数あり、これらは縦横に走る黒い線が描かれるシーンの騒がしい感じを表現しているような感触で。音が聞こえるような錯覚。
結局続く最終日も観に行って。
この日は和田さんともお話しすることができて感激。。。
年齢を感じさせないのは外見だけではなく、お話の隅々からもフレッシュな感覚が垣間見れたことも嬉しい発見で。
この展示は今後筑波のほうへ巡回するそうなのですが、その時はもっとたくさんの作品が出展されるということらしいので、何とか行きたい、と思ってます。
《感想リンク》
http://jiyu-runner.cocolog-nifty.com/tannsihin/2005/09/post_a7bb.html
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=361
コメント
恥を知りなさい!!!!
やってしまったことは、取り返しのつかないことです。今までの履歴も、せっかく手にした一流画家という地位もすべて失ってしまうのでしょう。
この人の絵画を買った人。きっと高かったでしょうね。もう何の値打ちもありません。二束三文なら、σ(^^)買います。だって、結構いい絵だもんね。一号あたり100円くらいなら、お買い得かな。(^_^;)
例えばロダンは弟子の作品の中で優れたものに自分のサインを入れてロダン作とすることを弟子に許していましたし、弟子もそれを名誉と考えていました。
それが芸術だった時代もあったのは事実です。
日増しに肥大していく名誉欲と自己顕示欲。それに付いて行かない自分の技量。なまじ有名になったこと、そして多くの優れた作品を見てしまったことで解ってしまう自分の無能さ。
それらを一気に解決できるのが盗作という手法だったのかと想像してしまいます。
「ピカソも盗作の天才だ」というテレビのインタビューでも解る様に彼は今でも自分は芸術家だと思っているようです。
そこには表現者が表現者であるがゆえの懊悩や逡巡が感じられません。結局その程度の贋作造りに精を出す人に芸術家という称号を与えてしまう日本の洋画界全体が世界から軽蔑されることになるのは慙愧に耐えません。
「本当に芸術がわかる人が見れば、盗作でない事は明瞭だ」というインタビューも、一般に詐欺師が使うレトリックですね。童話裸の王様を騙した詐欺師のように・・・。
イタリア人が嘘をついてるんだよ。
ちょうど数年前起きた考古学界での捏造問題のように。
日本人画家全部の地位を貶めました。
取り返しのつかないことをしてくれました。
バカ受け
「盛上げ方・材料・画質が違う」
「厚さ・盛上げ方・私なりの絵画表現が違う」って言ってたね。
何が違うんだい?和田氏の絵は模写で無いだろ?贋作でも無いだろ?じゃー盗作じゃないか!!!!!
「最初に観た時とはずいぶんと印象が変化して、それぞれの作品に、近付いては絵の具の質感に興奮し、遠目で壮大さや力強さに圧倒され」
大変スバラシイ!まさに和田氏の絵を正しく鑑賞なさったとよくわかるBlogです。構図は、元絵からのパクリですものねw
どっちかつーと被害者なのにw
本人は勿論、騙された関係者も赤恥。世間に申しわけなし。
偉いこと言っても全然見る目がないんですね、あなた。
実は、何の鑑識眼ももたず鑑賞力もなく「感激せよ!」という機構に操られている、我々日本人一般市民とはどんな存在なんでしょう。
作者と作品とは、もはや切り離して考えなければなりませんから、和田がどれほど品性下劣でも、それはそれでどうでも良いことです(国辱ですけれど)。
たまたまこの数ヶ月、長谷川潔・藤田嗣治・高島野十郎の作品展を観てきて、こういう作品を拒み続けた日本の画壇とは・・・。絶句!
竹の子の様な私的恣意的団体とそれに群がるパトロン的画商と黒い関係か?良い時期なので日本美術協会とか日本美術連盟とか発足させんと、日本の美術界は・・・。海面下ですか?
http://www.musabi.ac.jp/abura/faculty/wada/wada.html
http://www.morimuraseiichi.com/shashinkan/b/b_35.html
http://info.yomiuri.co.jp/release/200507298018-1.htm
http://www.dnp.co.jp/artscape/exhibition/pickup/0504_17.html
http://www.tsukuba.museum.ibk.ed.jp/wada.html
とにかく、スーギ氏と和田氏の絵を並べた展覧会を見てみたい。
今回は“弟子の秀逸なオリジナルを師匠が自分の名で世に出してやる”などという次元の話ではないのです。
縁もゆかりもない他人の作品の、色調から構図までアイデアを盗んだ物であり、犯罪です。
ですが、人によって作品に対する評価の仕方は、別に作品の善し悪しだけではなく、その作家さんの生き方や考え方に共感できるなどで、ファンになったりもするわけで。ただ、自分の創作として社会に発表して、それが嘘だったんで社会的制裁をうけてるだけのことだと思ったんですけど‥‥。
ただ作家として人として、恥ずべきことをやっちゃったお偉いさんってとこですかね〜。
心動かされた事には自信を持って下さい。和田ちゃんはズルい子でしたけど
技術、表現力は確かな子だったと思います。たとえそれがスギ氏の模倣であったとしても、そこに雰囲気なり情緒は盛り込まれていたと思います。それに
感動してしまっても何もあなたの目が節穴だったという事にはなりません。
こう考えて下さい。ある素晴らしい役者さんがいたとします、あなたはその
人のパフォーマンスを観てとても感動しました。でもその役者さんは実生活
では嘘つきで、ケチで、意地悪で、体臭が凄いんです。でも、ひとたび演技
を始めると素晴らしいんです。和田ちゃんの大きなミスはその演技を許可を取らずにある有名な俳優さんのものまねで舞台をつとめてしまったのです。ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、何が和田ちゃんをそこまで大胆に
「ばれっこないさ。」の世界に引き入れてしまったのでしょう。あれだけ腕が
あるのだから構図とか色彩とか男を女に変えるとか....全然印象の違う作品にも
出来たのに....
心動かされた事には自信を持って下さい。和田ちゃんはズルい子でしたけど
技術、表現力は確かな子だったと思います。たとえそれがスギ氏の模倣であったとしても、そこに雰囲気なり情緒は盛り込まれていたと思います。それに
感動してしまっても何もあなたの目が節穴だったという事にはなりません。
こう考えて下さい。ある素晴らしい役者さんがいたとします、あなたはその
人のパフォーマンスを観てとても感動しました。でもその役者さんは実生活
では嘘つきで、ケチで、意地悪で、体臭が凄いんです。でも、ひとたび演技
を始めると素晴らしいんです。和田ちゃんの大きなミスはその演技を許可を取らずにある有名な俳優さんのものまねで舞台をつとめてしまったのです。ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、何が和田ちゃんをそこまで大胆に
「ばれっこないさ。」の世界に引き入れてしまったのでしょう。あれだけ腕が
あるのだから構図とか色彩とか男を女に変えるとか....全然印象の違う作品にも
出来たのに....
心動かされた事には自信を持って下さい。和田ちゃんはズルい子でしたけど
技術、表現力は確かな子だったと思います。たとえそれがスギ氏の模倣であったとしても、そこに雰囲気なり情緒は盛り込まれていたと思います。それに
感動してしまっても何もあなたの目が節穴だったという事にはなりません。
こう考えて下さい。ある素晴らしい役者さんがいたとします、あなたはその
人のパフォーマンスを観てとても感動しました。でもその役者さんは実生活
では嘘つきで、ケチで、意地悪で、体臭が凄いんです。でも、ひとたび演技
を始めると素晴らしいんです。和田ちゃんの大きなミスはその演技を許可を取らずにある有名な俳優さんのものまねで舞台をつとめてしまったのです。ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、何が和田ちゃんをそこまで大胆に
「ばれっこないさ。」の世界に引き入れてしまったのでしょう。あれだけ腕が
あるのだから構図とか色彩とか男を女に変えるとか....全然印象の違う作品にも
出来たのに....
心動かされた事には自信を持って下さい。和田ちゃんはズルい子でしたけど
技術、表現力は確かな子だったと思います。たとえそれがスギ氏の模倣であったとしても、そこに雰囲気なり情緒は盛り込まれていたと思います。それに
感動してしまっても何もあなたの目が節穴だったという事にはなりません。
こう考えて下さい。ある素晴らしい役者さんがいたとします、あなたはその
人のパフォーマンスを観てとても感動しました。でもその役者さんは実生活
では嘘つきで、ケチで、意地悪で、体臭が凄いんです。でも、ひとたび演技
を始めると素晴らしいんです。和田ちゃんの大きなミスはその演技を許可を取らずにある有名な俳優さんのものまねで舞台をつとめてしまったのです。ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、何が和田ちゃんをそこまで大胆に
「ばれっこないさ。」の世界に引き入れてしまったのでしょう。あれだけ腕が
あるのだから構図とか色彩とか男を女に変えるとか....全然印象の違う作品にも
出来たのに....
心動かされた事には自信を持って下さい。和田ちゃんはズルい子でしたけど
技術、表現力は確かな子だったと思います。たとえそれがスギ氏の模倣であったとしても、そこに雰囲気なり情緒は盛り込まれていたと思います。それに
感動してしまっても何もあなたの目が節穴だったという事にはなりません。
こう考えて下さい。ある素晴らしい役者さんがいたとします、あなたはその
人のパフォーマンスを観てとても感動しました。でもその役者さんは実生活
では嘘つきで、ケチで、意地悪で、体臭が凄いんです。でも、ひとたび演技
を始めると素晴らしいんです。和田ちゃんの大きなミスはその演技を許可を取らずにある有名な俳優さんのものまねで舞台をつとめてしまったのです。ちょっと冗談っぽくなってしまいましたが、何が和田ちゃんをそこまで大胆に
「ばれっこないさ。」の世界に引き入れてしまったのでしょう。あれだけ腕が
あるのだから構図とか色彩とか男を女に変えるとか....全然印象の違う作品にも
出来たのに....
世界にいるアーチスト達が「最悪の人間達。」です。それと比較すると和田ちゃんはバカですが、それをしなかった事でこんな大事件になって、その器用に盗作をして甘い蜜(金銭と名声)を吸い続けている本当の「芸術犯罪者」達
をビビらせた功績はあるのかな? でもきっと真実はそういう真の「芸術犯罪者」達はのうのうとパクリを続けて行くのでしょうし、政治やお付き合いの世界で「絵」をバレないように修正している時間の無かった、バカの和田ちゃんは..........しょうがない。消える運命でしょう。でもね、パクリまくっている「
クリエーター達。」に言っておく、あなた達のこの人生が終わる時「確実に裁かれぜ。」