藤田修 展 -River-(9/10)
2005年9月12日 アート コメント (1)
ギャラリー池田美術にて。(9/5〜9/17)
http://kgs-tokyo.jp/ikeda/2005/050905.htm
至高の銅版画作品。
街の景色や場面を捕らえた瞬間を、(おそらく)写真をもとに銅版に写し取って製作される作品群は、当然モノクロ写真の質感とは違っていて。
黒い影はなめらかであり、且つ、熱を持っているかのような温度感覚があって、ある場面の瞬間が描かれているにもかかわらず...というより、その瞬間がふわりとエクスパンドされたような不思議な時間感覚。
描かれる風景は「霧がかったような街並」だったり「窓から入ってきて闇の室内に広がる光」だったり...「River」というタイトル通り、川が織り込まれ、さらに独特の雰囲気がすでに広がっている、「選ばれた」風景のような。。。
そして、そういった瞬間が銅版画...ドットの集合で表現される写真ではなくひとつのインクの広がりで描かれていて、支持体となる紙のあたたかい質感と合わせてなんともいえない深みを作り出しています。
こういった作品が主に展示されるなか、もっともインパクトが大きかったのが数版の組み版画。
風景を描かれたマスと黒のマスとが格子模様に広がっていることでひとつひとつの景色に何となく繋がりがあるように思えて(作家の藤田さんに確認しそこねて実際は分からないのですが...)。
またこの作品ではフォトエッチングの技法と合わせて深彫りのエッチングが画面全体をうねるように流れる曲線の束として描き加えられていて、それが紙の盛り上がりとなって画面表面に生々しい凹凸を作り出していてかなり印象に残る質感で。
すごく懐かしいようで、それでいて未来的な感覚でもある、ゆるやかな焦燥感が去来する不思議な面白さがある作品でした。
スペシャリストが製作する銅版画って、毎度その奥深さにやられてしまいます。。。
http://kgs-tokyo.jp/ikeda/2005/050905.htm
至高の銅版画作品。
街の景色や場面を捕らえた瞬間を、(おそらく)写真をもとに銅版に写し取って製作される作品群は、当然モノクロ写真の質感とは違っていて。
黒い影はなめらかであり、且つ、熱を持っているかのような温度感覚があって、ある場面の瞬間が描かれているにもかかわらず...というより、その瞬間がふわりとエクスパンドされたような不思議な時間感覚。
描かれる風景は「霧がかったような街並」だったり「窓から入ってきて闇の室内に広がる光」だったり...「River」というタイトル通り、川が織り込まれ、さらに独特の雰囲気がすでに広がっている、「選ばれた」風景のような。。。
そして、そういった瞬間が銅版画...ドットの集合で表現される写真ではなくひとつのインクの広がりで描かれていて、支持体となる紙のあたたかい質感と合わせてなんともいえない深みを作り出しています。
こういった作品が主に展示されるなか、もっともインパクトが大きかったのが数版の組み版画。
風景を描かれたマスと黒のマスとが格子模様に広がっていることでひとつひとつの景色に何となく繋がりがあるように思えて(作家の藤田さんに確認しそこねて実際は分からないのですが...)。
またこの作品ではフォトエッチングの技法と合わせて深彫りのエッチングが画面全体をうねるように流れる曲線の束として描き加えられていて、それが紙の盛り上がりとなって画面表面に生々しい凹凸を作り出していてかなり印象に残る質感で。
すごく懐かしいようで、それでいて未来的な感覚でもある、ゆるやかな焦燥感が去来する不思議な面白さがある作品でした。
スペシャリストが製作する銅版画って、毎度その奥深さにやられてしまいます。。。
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