リーテム東京工場にて。(5/13〜5/29)
http://variations.jp/index.html
銀座から一路、平和島・大田市場方面へ。
会期ギリギリでこの企画のことを知り、なんとか見に行くことが出来ました。
5時過ぎに銀座を出て会場に到着したのが6時過ぎ、事前に地図で確認していったのですが、予想通りの到着時間。
さすがにこの界隈へ自転車で来たことはなく、窓が確認できるくらいの距離で飛行機が頭上を飛んでいったりとか、まさに工業地帯といった感じの光景とか、いろいろと新鮮。
これまで現代アートにカテゴライズされる展示もけっこうな数を体験してきましたが、この企画はかなり振り切った感じがしました。
会場はリサイクル工場。そもそも場所から普通じゃないわけで。
加えて場所を意識した作品が多いのもまた、エッジの効いた感じに拍車をかけているような。
「よい・よくない」というのではなく、「面白い・面白くない」というのもちょっと違ってて、もっとダイレクトに内側の感覚に訴えてくるような、「分かる・分からない」という基準でそれぞれの作品に触れたような感じです。
ここまでくると「アート=表現すること」ということを強く感じるのですが、それでも「=何でもあり」になってないところにも凄みを感じます。
きちんと秩序が存在しているというか。
それぞれの作品の説明は、とりあえずのタイトルとその作品で使用されている器材・素材のみ。
710.beppoの《0.7 tons for music》は僕が行った時は故障中で体験できなかったのと、ポル・マロの発泡スチロールのインスタレーションがいまいちピンとこなかったのを除くと、それぞれの作品を楽しめました。
近藤一弥の映像インスタレーション《飛ぶ男》。
安部公房の同名の小説を元に製作されたこのインスタレーションは、黒のカーテンで仕切られた暗いスペースのなかで行われ、およそ14分にわたるインスタレーションは静かな始まりからどんどん加速していき、最後の方では心臓の鼓動を模した重低音が鳴り響く中で壁には安部公房が撮った白黒写真が目まぐるしく映し出され、台の上のスクリーンにはものすごい速さでテキストが流れていき、スパッと終わるという。この手のインスタレーションでは、これまで体験した中でももっとも圧倒的な説得力。
刀根康尚の音響インスタレーション《遠心的パラメディア》。
設置されているヘッドホンを装着すると、そこから聴こえてくるのは変化するノイズ音。
スタッフの説明のよると、会場の外に設置されている集音マイク、ラジオ、4枚のCD(そのうちのひとつはリサイクル工場で集音したものとのこと、他はいろいろと手を加えてあるらしい)、それぞれの音が卓の横にある温度感知センサーに反応しながらコンピュータを通してランダムに、設置されている4つのヘッドホンの8つのスピーカーから繰り出されるという仕組み。
まったくのノイズが「聴ける」ものになっていることが大変興味深いです。
クリスチャン・マークレーの映像作品は、携帯電話やラップトップパソコンが、それ自身がリサイクルされる映像を映し出しているという、考えるとシュールな作品。ノイズも強烈。
平倉圭の映像作品《テキスト、山、準−部分》。
水戸にあるリサイクル工場で重機が粗大ゴミの山を築き上げていく様子がモノクロの映像で延々と流れていて、無機的に壊し、積み上げる重機をなぜか見入ってしまっている自分。
もうひとつのスクリーンで流れていたテキストも面白かったです。
現代アートの境界。
いわゆるアートの延長線上ではなくて、まったく違う方向へと広がった、その先端にて。。。
《感想リンク》
http://blog.kks-online.net/archives/2005/05/variations_on_a.html
http://blog.goo.ne.jp/pizz/e/5c6fb561fe1eeee952b883c54e9d1792
http://riok.exblog.jp/2818883/
http://www.doblog.com/weblog/myblog/23181/1375385
http://aon9.ameblo.jp/entry-a0ad95890f1db5e0e5c426694d16f77a.html
http://hworks.readymade.jp/blog/archives/2005/05/post_43.html
http://variations.jp/index.html
銀座から一路、平和島・大田市場方面へ。
会期ギリギリでこの企画のことを知り、なんとか見に行くことが出来ました。
5時過ぎに銀座を出て会場に到着したのが6時過ぎ、事前に地図で確認していったのですが、予想通りの到着時間。
さすがにこの界隈へ自転車で来たことはなく、窓が確認できるくらいの距離で飛行機が頭上を飛んでいったりとか、まさに工業地帯といった感じの光景とか、いろいろと新鮮。
これまで現代アートにカテゴライズされる展示もけっこうな数を体験してきましたが、この企画はかなり振り切った感じがしました。
会場はリサイクル工場。そもそも場所から普通じゃないわけで。
加えて場所を意識した作品が多いのもまた、エッジの効いた感じに拍車をかけているような。
「よい・よくない」というのではなく、「面白い・面白くない」というのもちょっと違ってて、もっとダイレクトに内側の感覚に訴えてくるような、「分かる・分からない」という基準でそれぞれの作品に触れたような感じです。
ここまでくると「アート=表現すること」ということを強く感じるのですが、それでも「=何でもあり」になってないところにも凄みを感じます。
きちんと秩序が存在しているというか。
それぞれの作品の説明は、とりあえずのタイトルとその作品で使用されている器材・素材のみ。
710.beppoの《0.7 tons for music》は僕が行った時は故障中で体験できなかったのと、ポル・マロの発泡スチロールのインスタレーションがいまいちピンとこなかったのを除くと、それぞれの作品を楽しめました。
近藤一弥の映像インスタレーション《飛ぶ男》。
安部公房の同名の小説を元に製作されたこのインスタレーションは、黒のカーテンで仕切られた暗いスペースのなかで行われ、およそ14分にわたるインスタレーションは静かな始まりからどんどん加速していき、最後の方では心臓の鼓動を模した重低音が鳴り響く中で壁には安部公房が撮った白黒写真が目まぐるしく映し出され、台の上のスクリーンにはものすごい速さでテキストが流れていき、スパッと終わるという。この手のインスタレーションでは、これまで体験した中でももっとも圧倒的な説得力。
刀根康尚の音響インスタレーション《遠心的パラメディア》。
設置されているヘッドホンを装着すると、そこから聴こえてくるのは変化するノイズ音。
スタッフの説明のよると、会場の外に設置されている集音マイク、ラジオ、4枚のCD(そのうちのひとつはリサイクル工場で集音したものとのこと、他はいろいろと手を加えてあるらしい)、それぞれの音が卓の横にある温度感知センサーに反応しながらコンピュータを通してランダムに、設置されている4つのヘッドホンの8つのスピーカーから繰り出されるという仕組み。
まったくのノイズが「聴ける」ものになっていることが大変興味深いです。
クリスチャン・マークレーの映像作品は、携帯電話やラップトップパソコンが、それ自身がリサイクルされる映像を映し出しているという、考えるとシュールな作品。ノイズも強烈。
平倉圭の映像作品《テキスト、山、準−部分》。
水戸にあるリサイクル工場で重機が粗大ゴミの山を築き上げていく様子がモノクロの映像で延々と流れていて、無機的に壊し、積み上げる重機をなぜか見入ってしまっている自分。
もうひとつのスクリーンで流れていたテキストも面白かったです。
現代アートの境界。
いわゆるアートの延長線上ではなくて、まったく違う方向へと広がった、その先端にて。。。
《感想リンク》
http://blog.kks-online.net/archives/2005/05/variations_on_a.html
http://blog.goo.ne.jp/pizz/e/5c6fb561fe1eeee952b883c54e9d1792
http://riok.exblog.jp/2818883/
http://www.doblog.com/weblog/myblog/23181/1375385
http://aon9.ameblo.jp/entry-a0ad95890f1db5e0e5c426694d16f77a.html
http://hworks.readymade.jp/blog/archives/2005/05/post_43.html
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