ジェームス・アンソール展 −ベルギーが生んだ異端の芸術家(5/28)
2005年5月30日 アート コメント (1)東京都庭園美術館にて。(4/23〜6/12)現在開催中!
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/2005/ensor.html
僕にとっては未知の作家だったジェームス・アンソールの回顧展。
初期から晩年の作品まで、そして、油彩を中心にコンテ画、エッチングなど、さまざまなスタイルの作品が幅広く展示されていました。
先日観たクールベにも通ずるような初期のまっとうな絵画から、東アジアのテイストへの好奇心が強く感じられるシノワズリーの一連の作品、そしてグロテスクな作品群、という具合に「何を」描くかということの変遷にまず興味がいきますが、展示を通して観て、それよりも「色彩」の変化が印象的でした。
もっとも、展示の構成では途中にコンテによるシノワズリー作品や、ただグロテスクなだけではない、その時代の背景は良く分かりませんが景気のの先行きへの不安やペストなどへの恐怖などを風刺を交えて織り込んだようなエッチングの作品なども挟まっているのですが、初期のぼやけた暗い色彩(絵の具の劣化があるにせよ)から、後期の明るい鮮やかな色彩への変化のほうにより強く惹かれました。
例えば「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」や「仮面と死神」といった相当にシュールでグロテスクな作品であっても、その色彩は異様に明るくて、それがむしろ気味悪さを助長しているかのようです。
これらの作品は描かれているもののインパクトが強いのですが、後期はこういったグロテスクな作品ばかりかというと決してそうではなくて、キリストをテーマにした作品やその明るい色彩に希望や理想を託すような作品も。
「嵐を静めるキリスト」は、うねる緑の海に赤と青の空、帆船の先に立ち上がるキリストが光を放つ様子が描かれていて、大変力強さを感じます。「理想」では、中央に花束、その上にミューズ、そのまわりを囲む人々、これらが軽い色彩で描かれています。「華麗なる人々」に登場する人々は一様に笑顔です。「オーステンドのカーニバル」では、人々は赤い線画で描かれています。
極め付けは「我と我が色彩と我が持ち物」。おそらく自画像で、黄色の背景、紫のシャツ、ピンクのコート、頭上に2人のミューズ。この明るさ、鮮やかさを「我が色彩」と呼ぶところに、その色彩へのこだわり、そしてそれに何かを託しているような印象を受けました。
こういった後期の明るすぎる色彩と比べて、それより前の作品においては、絵の具の劣化もそう思わせる理由のひとつと思われますが、全体的に暗い色彩が印象的です。
入口すぐの「嵐の後(虹)」。灰色の海に浮かぶ帆船、夕焼け(虹?)、曖昧な水平線。
1階のロビーから階段を昇ると正面に展示されている大作「オーステンドの大眺望」。くすんだ色彩の空、雲。眼下に広がる街並の赤い屋根。
「海景、日没」。海は濃い緑と赤とで描かれ、空は赤黒く・・・そして、水平線には沈みきる直前の太陽。
人物画や静物画もありましたが、僕は風景画に惹かれました。
シノワズリーの一連の作品。
コンテ画の作品では北斎の漫画の模写や暁斎のそれにも通ずる鴉の絵など、また油彩のシノワズリーにはテーブルの上に置かれた仮面、花瓶に挿された団扇、置き物が描かれていて、アンソールの東アジアへの好奇心を強く感じました。
グロテスクな銅版画が並ぶ部屋では、1点だけ雰囲気が違う作品がありました。
「風車の下の村祭り」、白い和紙に刷られた銅版画で、色鉛筆と水彩でちょっとだけ赤、緑、青が加えられているのが、この中にあって唯一爽やかな質感で。
すごく面白い展示でした。
庭園美術館で絵画の展示、他の美術館とは絶対に見え方が違っていると思います。
《感想リンク》
http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/ad087d0f94ce0eb0866fae77137f91b2
http://blog.goo.ne.jp/yotarou01/e/03c5e9b3ee4020fddb4d8e073cb477b1
http://yuu.livedoor.biz/archives/21443480.html
http://panda.moglog.jp/archives/001799.html
http://blog.livedoor.jp/aoiroonga_tushin/archives/22113171.html
http://blog.livedoor.jp/aoiroonga_tushin/archives/22228399.html
http://chiico.exblog.jp/1961261/
http://www.teien-art-museum.ne.jp/exhibition/2005/ensor.html
僕にとっては未知の作家だったジェームス・アンソールの回顧展。
初期から晩年の作品まで、そして、油彩を中心にコンテ画、エッチングなど、さまざまなスタイルの作品が幅広く展示されていました。
先日観たクールベにも通ずるような初期のまっとうな絵画から、東アジアのテイストへの好奇心が強く感じられるシノワズリーの一連の作品、そしてグロテスクな作品群、という具合に「何を」描くかということの変遷にまず興味がいきますが、展示を通して観て、それよりも「色彩」の変化が印象的でした。
もっとも、展示の構成では途中にコンテによるシノワズリー作品や、ただグロテスクなだけではない、その時代の背景は良く分かりませんが景気のの先行きへの不安やペストなどへの恐怖などを風刺を交えて織り込んだようなエッチングの作品なども挟まっているのですが、初期のぼやけた暗い色彩(絵の具の劣化があるにせよ)から、後期の明るい鮮やかな色彩への変化のほうにより強く惹かれました。
例えば「首吊り死体を奪い合う骸骨たち」や「仮面と死神」といった相当にシュールでグロテスクな作品であっても、その色彩は異様に明るくて、それがむしろ気味悪さを助長しているかのようです。
これらの作品は描かれているもののインパクトが強いのですが、後期はこういったグロテスクな作品ばかりかというと決してそうではなくて、キリストをテーマにした作品やその明るい色彩に希望や理想を託すような作品も。
「嵐を静めるキリスト」は、うねる緑の海に赤と青の空、帆船の先に立ち上がるキリストが光を放つ様子が描かれていて、大変力強さを感じます。「理想」では、中央に花束、その上にミューズ、そのまわりを囲む人々、これらが軽い色彩で描かれています。「華麗なる人々」に登場する人々は一様に笑顔です。「オーステンドのカーニバル」では、人々は赤い線画で描かれています。
極め付けは「我と我が色彩と我が持ち物」。おそらく自画像で、黄色の背景、紫のシャツ、ピンクのコート、頭上に2人のミューズ。この明るさ、鮮やかさを「我が色彩」と呼ぶところに、その色彩へのこだわり、そしてそれに何かを託しているような印象を受けました。
こういった後期の明るすぎる色彩と比べて、それより前の作品においては、絵の具の劣化もそう思わせる理由のひとつと思われますが、全体的に暗い色彩が印象的です。
入口すぐの「嵐の後(虹)」。灰色の海に浮かぶ帆船、夕焼け(虹?)、曖昧な水平線。
1階のロビーから階段を昇ると正面に展示されている大作「オーステンドの大眺望」。くすんだ色彩の空、雲。眼下に広がる街並の赤い屋根。
「海景、日没」。海は濃い緑と赤とで描かれ、空は赤黒く・・・そして、水平線には沈みきる直前の太陽。
人物画や静物画もありましたが、僕は風景画に惹かれました。
シノワズリーの一連の作品。
コンテ画の作品では北斎の漫画の模写や暁斎のそれにも通ずる鴉の絵など、また油彩のシノワズリーにはテーブルの上に置かれた仮面、花瓶に挿された団扇、置き物が描かれていて、アンソールの東アジアへの好奇心を強く感じました。
グロテスクな銅版画が並ぶ部屋では、1点だけ雰囲気が違う作品がありました。
「風車の下の村祭り」、白い和紙に刷られた銅版画で、色鉛筆と水彩でちょっとだけ赤、緑、青が加えられているのが、この中にあって唯一爽やかな質感で。
すごく面白い展示でした。
庭園美術館で絵画の展示、他の美術館とは絶対に見え方が違っていると思います。
《感想リンク》
http://blog.goo.ne.jp/paul-ailleurs/e/ad087d0f94ce0eb0866fae77137f91b2
http://blog.goo.ne.jp/yotarou01/e/03c5e9b3ee4020fddb4d8e073cb477b1
http://yuu.livedoor.biz/archives/21443480.html
http://panda.moglog.jp/archives/001799.html
http://blog.livedoor.jp/aoiroonga_tushin/archives/22113171.html
http://blog.livedoor.jp/aoiroonga_tushin/archives/22228399.html
http://chiico.exblog.jp/1961261/
コメント