国立西洋美術館にて。(3/8〜5/29)
http://event.yomiuri.co.jp/latour/

こういう展覧会を観るとまず、この時代の風景に、それから数世紀を経た今の時代に絵画を通じて触れることができる、ということに感動してしまう。
奇跡、と表現してもし過ぎではないと思う。

蝋燭や松明の明かりが煌々と、しかし静かに、絵の中でそれぞれの風景・場面の唯一の光源として存在し、そのゆらめく光源に照らされた人物の表情や女性の服の装飾が丁寧に記録されていることが印象的だった。
また、数点で描かれていた「ヴィエル」という楽器。
弦が数本張られたバイオリンのボディのような箱(もしかしたら箱ではなく板かもしれない)に片手回しのハンドルと、弦を押さえるためと思われるボタンが10個前後付いていて、ボディを左脇に抱えて左手でボタンを押し、右手でハンドルを回す、という楽器。
しかも、描かれている奏者はすべて、歌っている(ような表情をしている)。
この楽器はどんな音がするのか、興味は尽きない。。。

・・・ところで、会場で観ている最中は真作か贋作かなんてまったく気にならなかったが、それから数日たった今思うのは・・・

この時代には当然写真なんてなかったわけで、ということは記録された絵は作者の相当の観察力・記憶力・想像力すべてが総動員されて描かれたものだ、ということに気付き、改めてそのことに感服してしまう。
そして、その力量はそれを模写した描き手のそれとは圧倒的に差がある・・・。
無論、贋作は観る価値がないかというとまったくそういうことはなく、純粋に絵画として素晴らしいし、加えてその時代の記録としては相当に貴重。

もうひとつ思うこと。
現代にこういう作品を製作する作家はやはりいないのだろうか。
この時代の画家は、現代では「画家」よりも「写真家」の感覚に近いような気がする。

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