東京国立近代美術館にて。(1/12〜2/27)
http://www.momat.go.jp/Honkan/TRACES/index.html

ちょっと考えて面白いと思う作品、考えるけどやっぱりダメな作品、最初から拒絶してしまう作品、という具合に、作品それぞれの印象が極端に分かれる展示でした。
それぞれのカテゴリーにはしっかりとした区分けはなかったのですが、「表面」「時間」「転写」「思考」のコーナーにあった作品は比較的楽しめました。それ以外は、分からないものや勘弁してほしいものが圧倒的に多かったです。

印象に残ったもの。
・村上三郎の3作品は、それぞれ味わいが違ってました。
絵の具が剥離していく作品は、単純に色合いがよかったです。
「投球絵画」は構図がいい感じ。
「入口」は、その制作ビデオを見て、あまりのバカバカしさに感動(笑)。
・白髪一雄。この人の作品は原美術館の常設展でも観ました。
はっきりいって、大嫌いです。
「足で描いた」というエクスキューズがないと何も伝わらない作品。もっとも、そのエクスキューズがあったとしても、ただの「汚い」作品という印象は変わらないのですが。むしろその「汚さ」のワケが分かる、というだけのことで。
・アンディ・ウォーホルの3作品、あれはないと思う。
あれを作品として扱わなければならない方々があまりにも気の毒。
・この企画での榎倉康二は、やはり説得力があると感じます。
・ロバート・ラウシェンバーグとジョン・ケージの「自動車タイヤプリント」は、ストレートにかっこいい作品だと思います。
・北辻良央。男女群島の地図をトレーシングペーパーに写し、さらにその写したものをまた別のトレーシングペーパーに写して、というふうにして描かれた作品。
それぞれの線がだんだんヨタヨタになっていってるのが笑えました。

結局、僕がアートを楽しむ上では、「行為」そのものは作品の善し悪しを決定する要素として、まったくではないけれどそれほど大事なことじゃない、ということを改めて実感しました。
作品を観て「面白い!」と思った時に初めて「(技術とイメージの両面で)どうやって描いたんだろう・・」という疑問が湧いてくるわけで。
それに、さきに「行為」がある作品は、大抵コントロールできていないと感じるし、そういう作品の説明があったあとしても、

「だから、何。」

程度にしか思わないですから。

こう書くと、この企画のテーマからすると皮肉な感じもするのですが。。。

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東京国立近代美術館は常設展示も充実しているのでいつも楽しみなのですが、これまでは企画展の後に常設、という順で観て、企画展を観た疲れを引きずった状態でしっかり観られないこともままあったので、今回は先に常設展を観ました。

やはり面白かったです。
ひとつひとつの感想は省略しますが(常設なので)、特に印象的だったのが、藤田嗣治の「五人の裸婦」で描かれている布の模様はいったいどうやって描いたんだろう、と思ったのと、児玉希望の「仏蘭西山水絵巻『河』」、右から横長の絵巻物を観ていって描かれている墨絵の風景画を堪能していたんですが、最後に思わず微笑んでしまうようなものが描かれていたのが良かったです。
それぞれの小特集、「母子像」展と木版画、写真の展示も見逃せない内容。

また、2階の会場の企画展「河野鷹思のグラフィック・デザイン―都会とユーモア」展は、出展作品のほとんどがポスターでした。
魚のイラストが面白かったです。

《感想リンク》
http://okehazama.cocolog-nifty.com/hiru_tsuki/2005/02/post.html
http://blog.goo.ne.jp/harold1234/e/e0c489bf0403224d55ab6d63cc2be398
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=126
http://a-slight.air-nifty.com/baumkuchen/2005/01/_traces_.html

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